AnotherVision Countdown Calendar2017

当ブログは、AnotherVision Countdown Calendar2017の記事を投稿しております

コラボコンテンツが持つ【熱量】のお話

※この記事は、「AnotherVision members' Advent Calendar 2017」の一環として書かれたものです。

 

 

はじめに

AnotherVision member's Advent Calender 2017をご覧の皆さん、こんにちは。

初めましての方は初めまして。

 

AnotherVision4期のイロナ(@Escaper009)と申します。

 

まずは簡単に自己紹介をば。

 

名前:イロナ

本名に「佑」の字が入ることから、その字を分解して「イロナ」にしました。

書き順的にはイノーロですが、気にしないでください

 

 

所属:学習院大学法学部法学科2年

アナビには東大生以外もたくさんいるんだってこと、ご存知ない方もいらっしゃることでしょう。

ぜひこの機会に知っていただければと思います。

 

 

制作

様々なコンテンツの制作に関わっています。

一年間フレンズ。』『東大ナゾ大陸』『大迷宮ロクブケーイからの脱出』『Hierarchia Tri-Alあたりは特に強く関わりました。

どれもみなさんにお楽しみいただけていることを願うばかりです。

 

 

趣味

  • ゲーム

ダンガンロンパ』シリーズ、『逆転裁判』シリーズ、『ドラゴンクエスト』シリーズが大好物。

最近は『ゼルダの伝説BotW』『スプラトゥーン2』『ペルソナ5』にお熱。

 

  • ポーカー

テキサスホールデムというポーカーがめっちゃ楽しいんですよ。

 

  • チュウニズム

レートは14.30前後をウロウロしています。アナビでは雑魚。

しかし地元に帰るとドン引きされる。

 

 

特記

主に司会者として、みなさんにお目にかかる機会が多いと思います。

AnotherVisionの他、『あそびファクトリー』というところでも司会をさせていただいています。

このあそびファクトリーでもちょこちょこ謎制作のお手伝いをさせていただいております。

こちらも是非、よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

今回のこのアドベントカレンダー企画。僕自身は軽い気持ちで参加表明しました。

 

なのにいざ蓋を開けてみたら、これまで書いてくれた皆さん、思ったよりガチで書くんだもん。めちゃめちゃ焦っています。怖い。どうしよう。

昨日だってkattunさんの記事すごかったもん。こんなに中身濃い記事あるんだなって。

 

これはいかん。僕も頑張ってちゃんと書きます。

 

駄文ではございますが、お時間の許す限りお付き合いいただければと思います。

(12/16追記:書き散らしていたら駄文になった自覚はあります。ごめん。投稿明日に迫ってて推敲してる時間なかった)

 

 

さて、そんな僕が今回題材に選んだのは『コラボコンテンツ』についてのお話です。

 

今年もたくさんのコラボコンテンツがありました!

 

SCRAPが展開しているリアル脱出ゲームだけでも、

SHOW BY ROCK!!

名探偵コナン

モンスターハンター

『キングダム』

ジョジョの奇妙な冒険

FINAL FANTASY

進撃の巨人

宇宙兄弟

ポケットモンスター

大逆転裁判』などなど…。

 

アニメや漫画に限らず、今年はSEKAI NO OWARIとコラボした『竜の夜からの脱出』なんかもありましたね。

そして来年も『ラブライブ!サンシャイン!!』や『ドラえもん』などとのコラボが発表されています。

 

コラボコンテンツ。

 

やっぱり自分が知っている作品とかだと楽しいですよね。盛り上がれますよね。

原作ファンの熱量というか盛り上がりは、見ていて羨ましいくらいのものがあります。

 

この記事では、こういった「コラボコンテンツ」が持つ【熱量】について書いていこうと思います。

 

 

 

さて。

 

『コラボコンテンツが持つ【熱量】のお話』とは言いましたが

 

「コラボなんだから謎解きファンだけじゃなくて原作ファンも来るでしょ」

「原作ファンもいるんだから、熱量がある=盛り上がるのはそりゃそう」

 

普通はそう考えると思います。

実際、これを読んでいる皆さんの中にもそう思った方が多くいらっしゃることでしょう。

 

 

そんなみなさんに向けて、一言。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それ、正解です。

 

原作を知ってる人たちが熱量持って盛り上がる。

そりゃそうです。

 

ぶっちゃけますと、この記事の結論もそれです。

最後に「原作を知ってみんなで楽しく盛り上がろうぜ!」っていいます。

 

 

1つ、ここで皆さんにお伝えしておくことがあります。

 

この記事、おそらくみなさんが感覚的にわかっていらっしゃるであろうことを言葉にし、載せた部分が大半です。

少しばかりではありますが僕が経験し、得た知見をご紹介するつもりではあります。

しかし基本的には「それはそう」ってことになります。

 

 

ではなぜ、そんなわかりきっていることをわざわざ書こうと思ったのか。

その経緯からお話することにしましょう。

 

 

先ほどの自己紹介で申し上げましたが、僕は『あそびファクトリー』のコンテンツにも、司会や制作協力という形で関わりがあります。

 

このあそびファクトリーが主に制作しているのは、コラボ謎解きです。

ホームページに記載がありますが、あそびファクトリーは読売テレビエンタープライズ内にある謎解き専門ブランドです。

そのため、テレビアニメなどに関連したコラボコンテンツの制作が主となっています。

 

またAnotherVisionとしても、あそびファクトリーが開催する公演に合わせて『謎ファイル』というものも制作していたりします。

 

これらのコンテンツの制作・運営を経験する中で様々な出来事に遭遇し、コラボコンテンツというものの【熱量】について発見・再認識することになりました。

だったら、それを記事にしてみよう!と考えたわけです。

 

 

ではその「様々な出来事」とは何か。そしてそこで再認識した【熱量】とは何か。

いよいよこの記事の本題に入っていくことにしましょう。

前置きが長くてごめんなさいね。ここからが本番です。

 

都合上、時系列順ではありませんがご了承ください。

 

 

まず1つ目はこちら。

魔法陣グルグル謎ファイル・ニケVer.『大迷宮ロクブケーイからの脱出』制作

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あそびファクトリーが開催した『魔法陣グルグル謎解きゲーム 超越迷宮ケラダグーバ

これに合わせて、AnotherVisionが制作した謎ファイルです。

 

僕自身の話になりますが、ロクブケーイ制作時、実は原作知識ほぼ無し

放送されているアニメは観ていましたが、原作は3巻くらいまでしか読んでいませんでした(実は今になっても読破できていません)。

 

ここでご紹介したいのは、もりぺー(ロクブケーイディレクター。AVCCでも12/2の記事を書いています)の熱量です。

 

僕と違い、原作をずっと追っていたというもりぺー。

彼が作り上げたとある書類に、僕はめちゃくちゃ驚きました。

 

『ニケ謎ファイル入れたい要素』

これは文字通り、もりぺー自身が原作ファンの視点から謎ファイルに入れ込みたい要素を羅列したものです。

しかしこれは、ただ単純に原作ファンの意見を並べたものではありませんでした。

 

アニメの1話を見た上で、「どのようなペースで物語が進み、どんなキャラクターをどう出すと良いのか」という分析に始まり、設定に合う謎の案や小ネタの数々まで綺麗に網羅されていました。

 

 

さて、ここで感じることができる【熱量】。

それはもちろん【制作者の熱量】です。

「《作品世界》の一部をこの手で作ろうとする意気込み」ということができるかもしれません。

 

 

そもそも原作があるコラボコンテンツの制作において、制作側の人間が原作を知っておくべきであることは想像に難くないと思います。

では、それはなぜでしょうか?

なぜ原作を知っておく必要があるのでしょうか?

 

  • 「原作ファンを喜ばせるため」
  • 「原作設定との矛盾を起こさないため」
  • 「キャラクターのセリフに違和感を生まないため」

 

色々考えられることはあります。試しに挙げたこの3つはどれも正解でしょう。

実際、コラボはこういったことに最大限配慮しつつ制作する必要があります。

 

これはあくまで僕の中での答えですが、原作を知っておくべき理由は「作品世界に自分自身が入り込むため」です。

 

世界観を知り、キャラクターのセリフを知り、作品の魅力を知る。

そして作品世界への理解を深めることで自身が原作ファン(もしくはそれに限りなく近い存在)となる。

先に挙げた3点を含め、すべてを内包する理由として「作品世界に自分自身が入り込む」が挙げられると、僕は考えています。

 

そして僕がこのロクブケーイ制作において感じた熱量の理由もここにあります。

『ニケ謎ファイル入れたい要素』は、制作陣を作品世界に誘うものとして有効なものでした。

 

魔法陣グルグルという大好きなあの世界の謎をみんなで作っていきたい」というもりぺーの気概の表れでしょうか。

実際これによって僕は、謎ファイルのイメージが鮮明に見えました。

「みんなで作る」の「みんな」の中に、一気に入り込んだ感じと表現できるかもしれません。

 

これがなかったら、ロクブケーイはできていなかったかもしれないとさえ思っています。

 

 

そしてこの「作品世界に誘う」という意味での【制作者の熱量】は、制作陣ひいては作品にまで表出したような気がします。

完成したロクブケーイは、魔法陣グルグルのあのおバカな空気感を醸し出すことができたのではないでしょうか。

(あくまで自己評価です。お買い上げいただいた皆様自身がお楽しみいただけていることを願っております)

 

なんかここまで書いておいてもりぺーの考えと違ってたら超恥ずかしいわ。もりぺーマジこの記事読むんじゃねぇぞ。

 

 

そういうわけで、原作を知らない状態で身を投じた今回の制作では、この【制作者の熱量】を認識することができました。

 

いや良かった良かった。

原作未読で迷惑かけたあれやこれやから目を背けつつ、次の話題に移りましょう。

 

 

 

続いてはこちら。

ニューダンガンロンパV3謎解きゲーム『超絶対絶命絶望希望ロワイヤルZ』

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(C)Spike Chunsoft Co., Ltd. All Rights Reserved.

最初の自己紹介で申し上げましたが、僕は『ダンガンロンパ』シリーズのファンです。

なのでこれらのコンテンツに関われる事自体がめちゃくちゃ嬉しかったです。

言うまでもなく、僕自身が熱量を持って臨む事にはなったのですがそれは【制作者の熱量】としてお話したものとほぼ同様の内容になるでしょう。

 

ここで僕が実際に見たものとしてお話したいのは【参加者の熱量】です。

多くの方にとってはこっちが馴染みのある話になるのではないでしょうか。

 

ここで話す【参加者の熱量】について、2つに分けてご紹介しようと思います。

 

まず一つ目。

これこそが皆さんに馴染みのあることだと思います。

端的にいってしまえば「コラボコンテンツを体験した原作ファンの方が謎解きにもハマっていく」という、【熱量の伝染】です。

 

ある時、『超絶対絶命絶望希望ロワイヤルZ(以下、ぜぜぜぜ)』で初めて謎解きゲームを知り、謎解きにもハマったという方から声をかけていただきました。

その方はAnotherVisionが制作した『一年間フレンズ。』もお買い上げいただき、「楽しみに解きます」と言ってくださいました。

 

Twitterエゴサーチをかけて感想を見たり、友人が解いているのを観測したことはありましたが、知り合いではない方から直接こういったお声を頂戴できるのは新鮮でしたし、めちゃめちゃ嬉しかったです。

しかも「謎解き」そのものにもハマっているとは!

 

AnotehrVisionが掲げる「人々に謎解きの楽しさを広める」という大きな目的を達成していたことが、目に見えたような気がしました。

コラボコンテンツにそういう影響があることは簡単に想像できますが、こうして直にその様子を見ると、感じるものがありましたね…。

 

ちなみにこの話、AnotherVision unlimited公演として開催した『シカバネ生存戦略』でスタッフをしていた時の話です。

 

ぜぜぜぜ東京公演:2017.04.28~06.11

シカバネ東京公演:2017.10.07~10.08

 

半年かからずにコラボからunlimitedまで参加するようになっていたとは…。

ガチでハマってくれたんですね…。

本当にありがたい限りです。

というわけで、【熱量の伝染】というものについて僕が経験した話を、軽くですがご紹介させていただきました。

 

比較的パッとイメージが掴めるものだったのではないでしょうか。

 

 

そしてもう一つここで紹介する【熱量】。これを僕は【思考の熱量】と名付ける事にしました。

 

この話をしていく前提として、そもそも『ニューダンガンロンパV3』というゲームの特性についてお伝えした方がいいかもしれません。

まずはこちらの画像をご覧ください。

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ニューダンガンロンパV3』PS vita版のアマゾンレビューです。

これを見れば一目瞭然ですが、このゲームはまさに「賛否両論」なのです。

何なら否の方が多い。

 

ゲームをプレイしている方ならご存知だと思いますが「あの結末」ならそれはそうです。

未プレイの方に配慮した言い方をするのであれば「全てをプレイヤーに任せるような結末」とでも言いましょうか…。

正直いい表現が見つかっていません。なんて表現すればいいんでしょう。

とてもいびつな作品である事に間違いはありません。

 

僕自身は賛否で言えば賛なのですが、否の人々の言い分もよくわかります。

(これ以上の詳細はゲームをプレイしていただく事にしましょう)

 

さて、このゲームは「全てをプレイヤーに任せるような結末」と申し上げました。

よって、物語の結末や舞台設定に関する解釈がプレイヤーによってまちまちです。

それを裏付けるかのように、ネット上にはこのゲームに関する考察が賛否を問わずゴロゴロ転がっています。

 

そのようなゲームとのコラボという事で、実はぜぜぜぜ自体も考察の余地を残したゲームになっていたりします。

実際、ぜぜぜぜに関する考察を書いてくださっている方もちらほらいらっしゃるようです。

僕自身が見つけたものは全て読ませていただきましたが、どれも興味深いものになっていました。

 

うっかりネタバレを食らってしまわないように、ここでは詳細をご紹介することは控えさせていただきます。

ネタバレOKだという方はぜひ探して読んでみてください。

 

 

殊にぜぜぜぜは、原作ゲームがこれだけ否定意見の多い中、それでもこれを体験し、わざわざ考察してくれた方々がいるということになります。

 

体験したコンテンツを振り返り、自分のゲーム解釈や設定と比較・分析し、考えて言葉にまとめる。「考察」する。

コラボコンテンツによくみられる「盛り上がり」という形での【熱量】とはまた違った、言うなれば【思考の熱量】の存在を見ることができました。

考察とは違う、単純な「感想」もここに分類することができるでしょう。

体験したコンテンツを振り返り、何がどう面白く感じたのかを整理し、「感想」として紹介する一連のプロセスは【思考の熱量】に分類されると思います。

 

もちろん、「考察」という行為自体は「これまでに無かった形」というわけではありません。コラボコンテンツではなくともこの現象は発生するでしょう。

しかし、「考察」行為が発生する自体は多くはないことでしょうし、起きるとすればコラボコンテンツで起きやすいのではないか。

 

少なくとも僕はそう思います。

であればこれも1つ、コラボコンテンツの【熱量】として捉えてもいいものでしょう。

 

 

というわけで、ここでは【参加者の熱量】の中でも【熱量の伝染】と【思考の熱量】をお話ししていきました。

 

 

 

 

さて、コラボが持つ【熱量】を《制作側》と《参加者側》2つの視点から見ていきましたが、最後に。

 

もう一つ別の視点から見た【熱量】をご紹介しましょう。

正確に言えば「別の視点」ではありませんが、おそらく多くの人が見えているようで見えていない視点だと思います。

 

最後にご紹介する【熱量】。その題材となるコンテンツはこちらです。

 

 

僕のヒーローアカデミア謎解きゲーム『ヒーローズ・デッドエンド・プログラム』

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今年7月に東京で初演が開催された、『僕のヒーローアカデミア(通称:ヒロアカ)』の謎解きゲーム。

それが『ヒーローズ・デッドエンド・プログラム』です。

 

こちらは浅草橋ヒューリックホールという場所で行われ、4人一組、最大65チームという大規模な公演となりました。

 

ヒロアカ。ご存知ないという方もいらっしゃると思います。

 

 書店に走って1巻をお買い上げください。

 

「超」がつくほど王道で、「超」がつくほど熱血な、まさに絵に描いたような少年漫画。

 まず素晴らしいのはコマの見せ方だと思うんです!

下手すれば展開が読めてしまうっていうかぶっちゃけ僕も展開は読めましたが、くるとわかっていても避けられないあの感じ。

「殴るよ!正面からグーパンチするよ!」って言われてるのに体が動かないんですよあれは。もう甘んじて殴られるしかないんですよ。

これは堀越先生のコマの見せ方がなせる技と言えるのではないでしょうか!!

(冷静に、脱線が見え始めたのでこの辺にしておきます。他にも語りたいことはいっぱいあるんだけどね)

 

さて、最後にここでご紹介するのは、制作者も参加者も巻き込んだ【全員の熱量】です

 

アーティストのライブなどに見られるような「会場が一体となった盛り上がり」。

これが一番近いイメージになると思います。

 

とはいえ、コラボコンテンツでなくともこの盛り上がりは発生します。

 

リアル脱出ゲーム PV』の冒頭にあるような、大会場が一体となる盛り上がり。

『終わらない宴からの脱出』のエンディングで司会の加藤隆生さんが最後に挨拶をした時。

 

特に後者は記憶に新しい方も多いのではないでしょうか。

もちろんこれだけでなく、「会場が一体となった盛り上がり」は様々なコンテンツで見ることができるでしょう。

 

僕がこの公演で司会をすることになった時も、当然その盛り上がりを生み出す方法を考えました。

 

 まず考えたのは、「前説でどう盛り上がってもらうか」ということ。

これは比較的すぐに答えが出ました。運良くヒロアカの世界観に沿った煽りを思いついたと言いますか…。

(初日初回の前説終わった直後、スタッフ仲間だったしーばから「加藤隆生さんですか?」って声かけられたの覚えてる。今思い返せばそういう煽りだった)

 

 

 

問題は解説(エンディング)。これは結構な時間悩んでいました。

テンションが上がったであろうお客さんが、そのテンションを保ったまま帰ってもらえるような何か。

それを実現することができれば、きっとこのイベントの満足度は跳ね上がるだろうと信じて、色々考えました。

 

 

そして結論から言ってしまえば、僕はおそらくそれを実現することができました。

 

  

 

僕がエンディングで何をしたか。

その答えはここにあります。

 

 

書店に走って5巻までをお買い上げください。

 

読めばおそらくわかります。

逆に読まなければ、この話は何のこっちゃわからないでしょう。

 

僕が何をしたか。その時の僕が何を感じたか。

 

簡単にいえば、「あるシーン」を再現しました。

言ってしまえばそれだけのことです。

僕がしたのは、あのワンシーン、あの1コマを再現しただけのことです。

 

正直、盛り上がってもらえるか不安だった節はあります。

 所詮はとあるワンシーンに過ぎないこのコマを再現したところで、盛り上がってもらえるかどうか。

 

 

 

 

初日初回のエンディング。

やりました。

 

 

 

 

 

 

 

方々から「あーーーーーーーーーー!!!」の声が聞こえた時。

頭を下げながら僕は、あの一瞬だけは、正直泣きそうになりました。

  

僕のヒーローアカデミア』は間違いなく素晴らしい作品です。

ですが何度も言うように、僕がしたのはとある1コマを再現しただけのこと。

 

お客さんがそれを知らなければ、覚えていなければ、ダダ滑りも良いところ。

しかも大会場。

 

からしてみれば、ある意味で大博打でした。

 

でも、あの場に来てくれたみなさんはそれを知ってくれていた。

あの1コマを、『僕のヒーローアカデミア』という《作品世界》の一部として知ってくれていた。

 

それが噛み合った時のあの盛り上がりはあの場にいた人、更にいえばあの場にいた原作ファンの人しか知り得ないでしょう。

 

あの時の僕たち(「僕」とは言いません)は、「共通認識である《作品世界》の中での共通認識」としての体験を創り出すことができたと思っています。

 

ちょっとややこしいですね。

「『思い出』を作り出せた」と言いかえればイメージしやすいでしょうか。

 

そして、このようなコラボコンテンツでいう『思い出』は、「1つの謎解きコンテンツとして」ではなく、

「共通認識として持つ《作品世界》で自分が実際に体験した話」という形で、より深い次元にたどり着けている

 

実際、《作品世界》での出来事を自分自身が体験できるというそれは、《作品世界》という共通認識が前提として存在する時点でファンにとっては強烈な体験です。

ただその1点において、コラボコンテンツは完全なオリジナルコンテンツよりも強烈な体験を提供するものになる。

 

そういう意味では、AnotherVisionが駒場祭で開催した『神と天使と僕らの手紙(通称:カミテガミ)』も、コラボまで行かずとも「共通認識の中の共通認識」を生み出していると言えるかもしれません。

 

あの時期の駒場キャンパスが持つ雰囲気そのものを「共通認識=《作品世界》」として捉えるならば、カミテガミはその雰囲気をうまく世界観に組み込むことができている。

 

だとすれば、その世界で解いた謎・体験したこと・動いた感情は「共通認識の中の共通認識」たり得るのではないでしょうか。

  

どうやらコラボコンテンツと似たような性質が周遊コンテンツにも存在しているのかもしれない。そんな可能性が見えてきました。

書き始めた頃はそんなこと考えもしなかった)

ただそこまで言及するとまた話が長くなるでしょうから、今回は置いておきましょう。これはまたの機会に。

 

そしてこの思い出は、先ほども言った通り《作品世界》の中にあるものです

《作品世界》での思い出を作り、また日常に帰っていく。

日常の中でふとまた《作品世界》に触れた時、その世界での思い出が蘇る。

  • 参加者であれば、実際にその《作品世界》に存在した者として。
  • スタッフであれば、《作品世界》を裏から支える存在として。
  • キャストであれば《作品世界》を構成する存在として。

 

全員を巻き込んだこの現象が【熱量】を生まずして何を生むのでしょうか。

 

『ヒーローズ・デッドエンド・プログラム』は、分け隔てなく全員が、1人1人が【熱量】の発信源になり得た。

僕はそう確信しています。

 

これが【全員の熱量】として僕が体験したお話です。

 

 

 

 

おわりに

さて、僕がこの一年間で、コラボコンテンツを通じて発見・再認識した【熱量】をご紹介して来ました。

 

しかし。

 

最初にも言いましたが、今回の内容は「みんなが感覚的にわかっているであろうことを、僕自身の体験を通じて少しだけ分析し、言葉にしただけのもの」です。

 

ぶっちゃけ、そこに意味はないのかもしれません。

 

ドラクエファンのみんな!『竜王迷宮』マジすごかったよね!?あれやばいよね!?」

 

逆転裁判ファンのみんな!『倫敦大法廷』とか『霊媒村』とか明治村周遊マジすごかったよね!?あれやばいよね!?」

 

「進撃ファンのみんな!『包囲された古城』マジすごかったよね!?Zeppも楽しみだね!?」

 

って延々言い続けているだけの文章と何ら変わらないのかもしれません。

 

 

それでも今回、“コラボイベントとしての”コラボ謎解きが持つ【熱量】を紹介することで、コラボコンテンツに対する新たな評価軸をご紹介したかった

 

それが、今回僕がこの記事を書いた目的です。

 

今回の記事をキッカケに、『謎解きイベント』ではなく『コラボイベント』としてのコラボ謎解きに目を向けていただければ、それで僕の目的は達成されます。

 

 

長々と綴ってきたこの記事も、そろそろ締めに入りましょう。

 

 

 

 

 

ここでお話しして来た【熱量】、特に【参加者の熱量】や【全員の熱量】には、何より大事な大前提が存在します。

 

「原作を知っている状態である」こと。

そしてその《作品世界》を共通認識として持つこと。

 

原作を知らない人がコラボイベントとしての【熱量】を感じ取るのは、まぁ困難を極めるでしょう。

 

 

 

 

そんなわけで最後に伏線回収しましょうか。

 

 

 

 

「原作を知ってみんなで楽しく盛り上がろうぜ!」

 

 

 

 

それでは皆さんに次なるコラボをご紹介しましょう!

あそびファクトリーの次なるコラボコンテンツは…!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クソアニメに熱量もへったくれもあるかよクソしかねぇわクソが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はい解散!!!

 

「お疲れ様でした!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ね?

駄文だって言ったでしょ?(開き直り)

物品とパズルと謎解き体験

・この記事はAnotherVision Countdown Calendar2017の一環の記事となっております。

adventar.org

 

はじめに 

みなさんこんにちは、AnotherVisionのkattunです。

「お前誰やねん」って思われた方、大正解です。実は私は少し前*1にAnotherVisionに仲間入りさせてもらったばかり、つい先日までこの団体を外側から眺めていた人間でした。

そんな私が内側に入ってみて、裏側を覗いてみて、率直な感想は「あ、こんなヤバい団体だったんだ」の一言。想像以上に世間から注目されており、求められる期待値も高い。それら全てに応えながら、異常な速さ*2で謎解きを作り続ける。AnotherVisionは、そんな団体でした。ヤバい。

この記事では、そんな団体の一員として私が謎解きに対して考えていることを、実際の制作現場を目の当たりにして感じたことを交えながら長々と書き連ねていこうと思います。
……が、まずはその前に、ちょこっとだけ私の自己紹介です。

 
 名前:kattun(「かっつん」と読みます)
 趣味1:パズル。もはやライフワーク。もらうととても喜ぶ*3
 趣味2:創作活動。音楽、絵、動画、工作など片っ端から手を出す。
 趣味3:謎解き。ハッと気付く瞬間や公演世界観への没入が大好き。

 
それでは、そろそろ本題に入ります。
(※注:以下の全ての内容はあくまで一個人の意見です。) 

 

そもそも「謎解き体験が面白い」って、何?

 このお話をするにあたって、みなさんに一つ質問があります。

  【謎解き体験の面白さって何ですか?】

「発想が新しければ面白い」「謎がひらめければ面白い」「脱出に成功すれば面白い」。多分、人によってもいろいろな答えが出てくると思います。でも、きっとその後ろには「楽しい」「凄い」「気持ち悪い」など、たくさんの感情があるはずです。そうやって人の心を動かせるものが「面白い」に繋がっていくんじゃないかなー、と私は思っています。心に響く要素がぎゅっと詰まったものが、いわゆる「激ヤバ」「激エモ」な謎解きだったりしますよね。

 
では、どうすれば人の心は動かせるのでしょうか。 


簡単な人の心の動かし方 

もちろん、洗脳とか人心掌握術とかのお話をしたいわけではありません。あくまで「体験として人の感情を揺さぶる」お話です。その一つの方法を簡潔に書いてしまうと「予想外なことをする」のが効果的。つまり、謎を解いている人に良い意味で「えっ!?」と思わせれば勝ちです。ひらめき・再利用・ギミック、どんな場合でも「こうなると思わなかった!」という時ほど感情が揺れ動きます*4

そのためには「ありえなさ」が大きなポイントになります。例えば、凸と凹のように元々組み合わせそうな形をしているものを「組み合わせます」って言われても「やっぱりか」ってなりますよね。一方で、パッと見ただけでは想像もできないような要素が隠されていて、それが明らかになった時にはきっと驚くはずです


その「ありえなさ」を演出するのにうってつけなのが、物品であり、パズル*5なのです。 


物品とパズルの持つ力 

基本的に謎解きでは、紙や箱などの物品は初めて目にするもののはず。そんな得体の知れないものたちに対して、これからどう扱っていくのか、その先に何が起こるのか、謎を解く人の期待感は非常に高いです。そして、謎を解いていくうちに段々と物品の性質や使い方が分かってきて、ある種の高揚感とともに次へのステップへと進めるようになっていきます。……それが、「仮の姿」であるとも知らずに。

大抵の場合、謎解きのキーとなる物品の真の姿・真の用途は、巧妙に仮の姿にカモフラージュされています。そしてその仮の姿とは、真の姿の持つ特徴がうまい具合に分解され、別の見た目を持った何かに組み替えられたものに他なりません。その制作過程はまさにパズル的だということができますし、かなりパズルを作るのに近い*6部分もあります。そうして作られた謎は、そこまでの行動によって仮の姿が印象付けられているからこそ、真の姿が明らかになった時に驚きを生み出すのです。

実際、AnotherVisionでは物品製作の部分だったり、いわゆる解き直し・再利用と言われるようなパズル部分にはかなりこだわりがあるように感じています。制作メンバーはみんな、物品一つの見せ方からその完成度に至るまで非常に大きな熱意を持っていますし、小謎一つとっても「まさか」と思えるような作成難易度の高いパズルが数多く作られてきました。

 
どれもこれも、全ては「ありえなさ」を生み出すため、ひいては「面白い謎解き体験」を作るために、必要なことなのかもしれません。 


おわりに 

ここまで長文を読んでいただき、ありがとうございます。

いろいろ書いてはみましたが、今回のお話以上に、謎全体の流れの合理性だったり、ストーリーと謎のリンク具合とかの方が、もっと体験に影響する重要なポイントである可能性は否定できません。あくまで今回のお話は、謎解き体験を面白くするための一側面だととらえていただければ幸いです。

また、今回パズル的というお話をちらっと書きましたが、実は今回の記事に書けなかったパズルネタが大量に消化不良状態*7です……。例えば、そもそもパズルと謎って何が違うのかとか。謎としてパズルを使う時に気にしている部分とか。このあたりを少し考えてみると、「何で謎って解けると楽しいんだろう」ってところにも繋がってくるかもしれません。これはまた、機会があれば別の時にでもお話したいなぁ、と思っています。 


それでは、明日以降の執筆者にもご期待ください(^ ^)/

 

 

*1:2017年9月末

*2:1か月に1つ以上作ってるんじゃなかろうか

*3:ください。面白いパズル常時募集中

*4:でも導線が足りていないと「えぇっ……」って感じで負の方に感情が動いてしまうので注意

*5:正確にはパズル的な実装

*6:論理パズルのヒントをいろいろな場所に散りばめている感じ

*7:私は元々パズル界隈の人なのでネタが山程ある

「究極の謎」

・この記事はAnotherVision Countdown Calendar2017の一環の記事となっております。

 

adventar.org

 

初めまして。AnotherVisionのロマと申します。

AnotherVisionでは3期の3年生です。

色々なコンテンツでスタッフロールを一行増やす仕事をしています。

具体的には謎を考えたり、謎で遊んだり、謎のスタッフをしたり、謎で遊んだり、謎で遊んだりしています。*1

色んな謎や謎以外に触れられるこの団体*2で、ふわふわ生きさせてもらっています。

 

2017年も残すところ2週間ちょっとです。皆さんやり残したことはありませんか?

今年のうちに出来ることは今年のうちにやってしまいましょう!*3

 

2017年も色々な謎解きイベントが行われてきました。

もちろんAnotherVisionでも様々なイベントを開催してきました。参加していただいた皆様の心に残るものであれば幸いです。

そして是非来年もAnotherVisionをよろしくお願いします。

 

 

 

さて、今回僕が書こうと思うのは、

 

「究極の謎とはどのようなものか」

 

というテーマについてです。

「究極の謎」と言っても大それたものを書くつもりはありません。こんな考え方もあるかもしれない程度に思っていただければ嬉しいです。

 

そして、そこから派生して、「ぼくのかんがえたさいきょうのなぞときげーむ」*4も提案してみたいと思います。

 

 

それでは少しの間ですがお付き合いください。

 

 

 

究極の謎とは

 

皆さんが思う「究極の謎」とはどのようなものでしょう?

 

それまでの全てを再利用する大謎?

あるいは、それまでの全てを逆転させることができる解き直し?

それとも、人体の神秘や自然の奇跡、そして、宇宙の真理?

 

いずれにせよ、「現在の人類には構築も解答も実現されていない」ものであることでしょう。*5

 

僕は「究極の謎」を「そこに謎がある/それが謎であると認識されていない謎」であると考えています。

本質的に誰にも解くことができない「究極の謎」です。

そして、僕はそれを誰もが作りだすことができると信じています。

 

 

“謎がある”という認識

 

それでは「謎」と「認識」について考えていきます。

 

そもそも「謎」って何でしょう?

各々が自分の「『謎』の定義」を持っていることでしょうが、ここでは「解答者がその情報の真意を“意識して考える”ことで解き明かすことができるもの」を「謎」と呼ぶことにしましょう。*6

 

では「謎がある」とはどういうことでしょう?

 

あなたは不可思議な文章/図形/イラスト/物体を見つけます。あなたはそれに「何らかの真意」があると確信し、その真意を見つけようとそれについて意識して考えます。

 

さて、あなたは「一見して意味の分からない情報」に「意味を見出そう」としました。

 

僕はこの行為を通じて初めて「謎が生じる」と考えます。謎は初めから“そこにある”のではなく、解答者がそれに向き合うからこそ生まれる、相対的なものだと思っています。

同じものを見ても、ある人はそれを単なる図に過ぎないと思う一方、ある人はそれに隠された真意を解き明かそうとします。

この認識の差異こそが謎というものを生んでいると思うのです。

 

謎はそれが謎であると認識されるからこそ謎たり得る、ということです。

 

 

認識されていない謎

 

話を「究極の謎」に戻しましょう。

前項の考えを採用するならば、僕が冒頭に提示した「究極の謎」は矛盾したものとなってしまいます。

 

認識されているものが謎になるのに、認識されていない謎とは一体どういうことなのか?

 

 

実はここまで「制作者」には一切触れずに話を進めていきました。

制作者はそれが謎であることを当然理解しています。むしろそこに謎があると知っているからこそ制作者であり得ると言ってもいいでしょう。他の全ての解答者がそれが謎であると認識していなくても、制作者だけはそこに謎があるということを認識しているのです。

 

制作者はその謎を、この世界で誰よりも早く認識することができ、さらにそれを唯一自分だけが認識しているものにできるという特権を有しています。

 

つまり僕の考える「究極の謎」とは、「制作者だけがその存在を認識している謎」ということに他なりません。

制作者だけしかその謎を認識していないのだから、解答者は解答のしようもありません。

 

言い換えるなら、制作者はその謎を作った瞬間においては、他の誰も認識していない「究極の謎」を独り占めしている、ということです。

 

謎を独り占め! なんと甘美な響きでしょうか!

自分だけが認識し、その真意を知っている謎。優越感ありますよね。*7

 

この「制作者」という概念は人類以外にも適用することができます。

未だ全人類が誰も認識も出来ないような「謎」の制作者が「神」であると考えると、「究極の謎」に相応しいような気がしませんか?*8

 

 

ぼくのかんがえたさいきょうのなぞときげーむ

 

ここから先は「制作者」が人間の場合、そして特に「謎解きゲーム」の場合について考えていきます。

そして趣味を全開にして語りますのでご容赦ください。*9

 

往々にして人間というものは自己顕示欲が強いものです。自分が制作した謎は日の目を浴びて欲しいと思うのが人情でしょう。「究極の謎」ですら世に出してしまいたくなるのです! このとき制作者は「出題者」となります。

また、「謎解きゲーム」は人に謎を解かせるゲームですので「クリア」が存在します。本質的に「クリア」できないものはゲームと呼べなくなってしまいます。

 

この2つの“障害”を乗り越えて「究極の謎」*10を出題するにはどうすればよいのでしょう?

 

 

突然ですが、僕はゲームのおまけ要素や隠し要素、やりこみ要素というものがとても好きです。本編をクリアした程度じゃそのゲームを遊んだとは言えないとすら思っています。

本編が終わってからもどれほど楽しみ尽くすことができるか、これが僕がゲームに求める最も重要なことの一つです。

 

謎解きゲームにおいてもこの考えは適用できると思っています。

 

「なるほど、脱出に成功しましたね。しかし果たして本当にそれだけでしょうか?」

 

僕はこのようなセリフを謎解きゲームの解説で聞かされるのがたまらなく好きです。予想だにしなかったところから殴られれば殴られるほど、鳥肌が立ち感動を覚えます。

認識できなかったものを目の前に顕現させられたときの衝撃は、脱出の成功/失敗の衝撃を超え得るものだと僕は思います。

 

出題者が解かせることを前提にしてない? 上等じゃないですか。

認識すらできないようなところに隠した? それでこそ燃えるってものですよ。

 

むしろ出題者が「究極の謎」を魅せる最高の機会じゃないですか。

 

僕は出題者が練りに練った「究極の謎」を解き明かしたいと思うし、僕自身も「究極の謎」を隠し通した「ぼくのかんがえたさいきょうのなぞときげーむ」を作りたいと思っています。

 

いつの日か「ぼくのかんがえたさいきょうのなぞときげーむ」が世に出た暁には、皆さんには”隠された真実”を見つけ出して欲しいと思っています。

 

 

 

 

最後に、僕がこの文章を書こうと思ったきっかけの一つとなった小説の一部を引用します。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

 

 

 

真に解決すべき問題は何も言わずにそこらに転がっている、あるいはどうか解かないでくれと隠れて震えている。
私たちはこれに気付かなければならない。
出されてもいない問題に気付き、解けると信じて行動した時にだけ、結果は訪れる。


引用:

『花果子念報コラム選その2』 南条 

http://coolier.dip.jp/sosowa/ssw_l/212/1472356924

 

 

 

 

*1:隠さずに言うと最近あんまり仕事してません……

*2:サイコーの職場です!

*3:レポートを積んでいる僕の言えたことではありませんが……

*4:タイトル案だったもの

*5:真相が”42”の話は置いておいて

*6:実体のあるなしに関わらず

*7:がしかし、これもまた自分だけしか認識できない

*8:これはほぼ極論ですけど

*9:こいつ何言ってんだくらいに思ってください

*10:に近い謎

「ナゾ解き」と「謎解き」

・この記事はAnotherVision Countdown Calendar2017の一環の記事となっております。

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みなさま、はじめまして。あるいはお久しぶりです。AnotherVision3期のミヤと申します。Twitterのアカ名と日ごろ使っているハンドルネームが違う、少々厄介なひとです。

 

 ――とまぁ、こんな挨拶をしましたが、間違いなく「初めまして」のかたが圧倒的多数だと思いますので、簡単に自己紹介を。

 

HN:ミヤ(あなびでは専らこっち)/雨露山鳥(Twitterでは専らこっち)

所属:東京大学教養学部学際科学科総合情報学コース3年(まけさんの後輩です)

あなび内での役割:ときどきスタッフ、ときどきパズル、ときどき1枚ナゾ

特徴:帽子

ハマってるもの:ラブライブ!サンシャイン!!(果南ちゃんとダイヤさんが好きです)

得意な音ゲースクフェス(MASTERの「乙女式れんあい塾」をフルコンしました。やったぜ!)

 

 

 

さて、突然の告白になりますが、僕はAnotherVisionに入ってから3年が経とうとしているにもかかわらず、実はほとんどナゾ解き公演製作には関わっておりません。唯一関わったといえるようなものは、Hackersに数問、とあるナゾを提供したことくらいでしょうか。

 

さらに言えば、僕は外部のナゾ解き公演に行ったことがほとんどありません。ナゾ解きを知ってから3年、SCRAPさんの公演に行った回数はたったの2回。それ以外の団体さんのものも、片手で足りる数しか遊びに行ったことがありません。

 

「お前はなぞときに興味はないのか?」と疑問に思われるかたもいるかもしれません。けれどそれは明確に違います。僕は「なぞとき」がだい好きです。ただし、その「なぞ」が意味するものはみなさまの想像とはすこし違うかも知れません。

 

僕が好きなもの。

 

それはずばり「推理小説内で提示される謎」です。

 

たとえば、3つの時計を持つ城に出現した首斬り死体の謎だったり。

あるいは、6面すべてが真っ白なルービックキューブの謎だったり。

はたまた、存在しない創刊号と33年前に起きた事件の謎だったり。

 

これらのような魅力的な謎を、僕はこよなく愛し、日々「体験」し、また「製作」しているのです。

 

しかしそうすると、さらなる疑問を覚えるかたもいるでしょう。「どちらも『なぞとき』ではないか。ならばなぜ片方の『謎解き』だけにそんなにも執心しているのか」と。

 

実際、この疑問は「ナゾ解き」に興味がない一般のかたでも、また違った形で不思議に思うところかも知れません。「へえ、リアル脱出ゲームが好きなんだ! じゃあコナンドイルとかも好きなんでしょ。……え? 違うの? なんで?」というように。心当たりがあるかたも多いかも知れませんが、「ナゾ解き」が好きだからと言って必ずしも「謎解き」が好きとは限りませんし、逆もまたしかりなのです。

 

では、このふたつ――「ナゾ解き」と「謎解き」――はなにが異なるのでしょうか? 

僕のちょっとした分析に、ほんの少しだけお付き合いください。

 

 

 

僕は、これらの間には、大きく分けてふたつの違いが存在していると考えています。

 

 

ひとつめは主語の違い。

 

前者の「ナゾ解き」――すなわち『リアル脱出ゲーム』や『一枚ナゾ』と呼ばれるものにおいて、ナゾを解くのは、その問題を提示された「あなた」です。そしてその「ナゾ解き」は主体的かつ強制的になされるもので、言い換えればあなたがナゾを解くことができなければ答えに辿り着くことは出来ません。

 

一方、後者の「謎解き」――すなわち推理小説で提示される謎において、謎を解くのは、あくまでも名探偵です。読者たる「あなた」は、出題された謎を解いても解かなくてもいい。『読者への挑戦状』をまるっと無視してしまってもいい。なぜなら、ページをめくれば名探偵があっと驚く解答を提示してくれるのですから。つまり、この「謎解き」は受動的かつ自発的にしかなされないもので、謎を解くことが出来なくても(頭を使わなくても)答えには辿り着けてしまうのです。

 

個人的な感覚ですがこの「主体性―受動性」/「強制―自発」の対比は、「ナゾ解き」好きのかたに、特によく当て嵌まる気がします。「ナゾ解き」が好きなかたは「ナゾを解きたいから」イベントに行くのでしょう。もし「ナゾ解き」におけるギミックの美しさを味わいたいだけなら、解説スライドを観にいくだけでいいのですから。

 

しかし「謎解き」好きなかたには、この対比はやや不自然に思われるかも知れません。「違う、俺は受動的なんかじゃねえ! なんなら読むミステリ全部で探偵よりも先に犯人当ててるぜ!」というかたがいたらぜひお目にかかりたいのですが、そこまでとは言わずとも、この性格による分類に少なからず違和感を覚えるかたは多いでしょう。事実、僕がそうです。

 

 

 

では「謎解き」愛好者は、「ミステリ」のなにに惹かれるのか。

 

 

 

僕は、それが「意外性」なのだと思います。

 

ストーリーの中に巧妙に仕組まれた伏線だったり、最後まで思いも寄らなかった意外な犯人だったり、絶対に思いつかないような驚天動地のトリックだったり、はたまた犯行に及ぶに至った人物の常軌を逸した動機だったり。

 

物語のクライマックスで明かされるこれらの真実は想像の遙か彼方から襲いかかり、しかもその奔流に読者は為す術もなく押し流されるしかないのです。けれどそこに不快感はありません。これまで読み飛ばしていた伏線が浮かび上がり有機的に繋がりあうことで、歪に絡まり合った謎の糸が解きほぐされていくカタルシスを、僕は何度でも味わいたいと思ってしまうのです。

 

「『ナゾ解き』にも意外性はあるぞ!」と思ったかた。確かにその通りです。

しかし、よく考えてみてください。「ナゾ解き」の意外性は、挑戦者に気付かれなければ意味がありません。それに対して、「謎解き」におけるその「意外性」は、「ナゾ解き」のそれとは異なり、読者に決して見破られないように作られている(いなければならない)のです。そしてこれこそが、ふたつ目の違いへとつながります。

 

そもそも「謎解き」は、読者に解かせることを前提にしていないのです。

 

だって読者が解けてしまったら、そこで読むのをやめられてしまいますから。解答編まで読んでもらうには――自らの作品を読者に最後まで味わってもらうには、解答編を読むまで提示される謎が読者に解かれては/結末や物語の展開を読者に予想されてはいけません。挑戦者に解いてもらうことを前提として作られる「ナゾ解き」と比較したとき、これは大きな違いだと思います。だって「ナゾ解き」は、誰にも解いてもらえなければ虚しいだけですものね。

 

そしてここに、「謎解き」を作る最大の難しさがあります。

 

面白い「謎解き」=ミステリを作るということは、言いかえれるならば「成功率0%のナゾ解きゲームを作れ、ただしストーリーが面白く、展開も予想できず、かつ答えを聞いた全員が納得できるものでなければならない」ということに他なりません。「ナゾ解き」製作経験のあるかたは、これがどれほど難しいことかが解るのではないでしょうか。アンフェアになってはいけない、完全なるフェアプレーのもとで、魅力的なキャラクターたちを生み出し、途中で読者がだれないように面白い展開を用意しつつ、誰にも答えられない謎を仕掛けなければいけないのです。

 

作者は読者を如何にして騙すかに腐心します。展開を予想されたら、伏線に気付かれたら、その時点で「意外性」は死んでしまう、すなわちその「謎解き」は朽ちてしまいますから。

だから読者を騙すために、あの手この手を使います。そうして生まれたのがある意味で「謎解き」の極致とも言える現在の「新本格ミステリ」というジャンルなのだと僕は思っています(新本格がどのようなものかを書き出すととても収まりきらないので「知りたければ綾辻行人先生の『十角館の殺人』を読め!」とだけお伝えしておきます)

 

だいぶ散らばった文章になってしまいました。僕が考える「謎解き」と「ナゾ解き」の違い、伝わりましたでしょうか……? 

 

 

 

 最後にちょっとだけ、僕の挑戦について紹介させてください。

 

 もしかするとこれを読んでいるみなさまの中には、一時期「#ミヤ小説ナゾ」というハッシュタグでAnotherVisionの面々が盛り上がっていたのを覚えているかたがいらっしゃるかも知れません。いまでもこのタグで検索をかけていただければ、どういう状況だったのかがお解りいただけるかと思います。

 

 白状しましょう、それの仕掛け人が僕です。

 

 「ミヤ小説ナゾ」というコンテンツは、「『ナゾ解き』と『謎解き』の融合」というコンセプトのもと、僕が個人的に始めた、AnotherVisionの内部コンテンツです。

 

 先にも書いた通り、「謎解き」の読者には提示された謎を解く主体的動機がありません。なぜなら、ページをめくれば名探偵が事件を解決してくれるからです。

 

 ……とすれば。

 

 ページをめくっても名探偵が事件を解決しなければいい。端的に言うなれば、問題編だけを出題し、解決編は一定時間を経た後に提示すれば、解決編が提示されるまでの間、読者を強制的に問題に取り組ませることが出来るはずです。

 

 物語として読んでも面白い、かつ「謎解き」/「ナゾ解き」としても面白い小説って、どんなものなんだろう。

 そうして生まれたのが、「ミヤ小説ナゾ」というコンテンツです。

 

 実際、昨年の夏、AnotherVisionサマーコンペティションの一環として製作した第一弾の『夏空のプレアデス』を、AnotherVisionの面々はそれなりに好意的に受け容れてくれたように思います。それまであまりAnotherVisionの活動にコミットできていなかった僕が、これをきっかけにメンバー内での認知度がアップしたような……。ちなみに、挑戦してくれた50人のうち、完全正解者が3人、99%正解者が4人でした。

 

 その後も、圧倒的長さ&狂気的難易度のために挑戦者の過半数が途中で脱落した長編『Ⅶ~sept~』、恐らく日本の謎解き小説史上いちばんの問題作『最初からn番目の真実』と、とりあえずこのコンテンツは第三弾まで続いています。(@あなび民 第四弾も執筆中なんだけど進捗ダメです……)

 

 いずれの作品(って自分で言うのは小っ恥ずかしいですね……)も、どこかでみなさまにもお披露目したいと思っておりますので、いましばらくお待ちください。

 

 

 

 ふと文字数を見たら4500字となっていてひっくり返りました。レポートもいつもこれくらいのスピードで書ければいいのに……。

最後まで読んでくださり、ほんとうにありがとうございます。

アドベントカレンダーはまだまだ続きます。普段は見られないAnotherVisionメンバーの一面を、どうぞお楽しみに。

以上、12/14担当、ミヤ/雨露山鳥でした。

 

 

蛇足

推理小説で提示される謎」のところで例示した3つの謎がなんなのか気になっている方もいるかも知れないので、念のため。

 

・3つの時計を持つ城に出現した首斬り死体の謎

……『『クロック城』殺人事件』/北山猛邦講談社文庫

・6面すべてが真っ白なルービックキューブの謎

 ……『退出ゲーム』/初野晴/角川文庫

・存在しない創刊号と33年前に起きた事件の謎

 ……『氷菓』/米澤穂信/角川文庫

 

いずれもマジゲロ面白い作品なので、興味のあるかたはぜひ手に取ってみてください!

 

 

 

「言葉遊び」のススメ

・この記事はAnotherVision Countdown Calendar2017の一環の記事となっております。

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初見の方、はじめまして。既知の方、こんにちは。

AnotherVision所属のテクネと申します。

 

さてこの「カウントダウンカレンダー」も中盤戦で、今年もあと20日を切ってしまいました。早いものですね。

 

話の前に、簡単な自己紹介を。

名前:テクネ(そう呼ばれることはほとんど無い)

所属:医学部医学科5年

アナビでの活動内容:謎制作(ヒラ)・スタッフ(ごくたまに)・司会(大昔に数回だけ)

 

AnotherVisionに所属して早4年目ですが、上記の通り、特に何もしていません。取り立てて謎作りに秀でているわけでもなく、デザイン動画といった卓越した一芸を持つわけでもなく、マネジメント能力やホスピタリティー精神に溢れている訳でもありません。面白そうな案件に常に片足だけ突っ込んで、適当なタイミングで引っこ抜くなんてことを繰り返しています。

 

また謎作り以外にも創作活動はいろいろしてきました。漫才の台本を書いたり、演劇の脚本を書いたり、TVクイズの問題を作ったり、学園祭で映画の監督をしたり、と。まぁ見よう見まねで色々齧っては、飽きて別のものを探す、なんてことを繰り返しているだけなんですがね。

 

 

さて、そんな僕の今回の記事ですが、元々「医学と謎解き」という本業と趣味を絡めた記事を書く予定でした。しかし書き始めてみると、僕は医学を語れるほど医学をまじめに勉強していないということに気が付きました。また僕は医学が割と嫌いなのですが、嫌いな物の説明に好きな物(謎解き)をアナロジーとして用いるのは何か違うなとも思い始めました。その結果、内容が医学部同期や大学病院への罵詈雑言の嵐になってしまい、ポリコレに反しまくっていて、とても世の中には出せない記事になってしまいました。

 

ということで、没記事をゴミ箱フォルダに入れたのが昨日の夜9時、そこからテーマをガラッと変えました。

 

今回の記事のテーマはこちら。

 

「言葉遊び」

 

バイト帰りの電車の中で自分の創作人生を振り返ってみたとき、一番自分が重きを置いているのが「言葉」であるということに気付いたのです。ということで、僕なりに「言葉遊び」と創作について思いのままに書いてみようと思います。

 

<お詫び>

ふざけて書くつもりが、深夜テンションで書ききった結果、そこそこ真面目な感じになってしまいました。それっぽいこと書いてますが、よく見るとガバガバ理論です。あとめっちゃ長いです。読むのだるいって人は、最後らへんでおすすめの本の話とか書いてるので、良かったらそれだけでも見てください。

 

僕は言葉が好きです。その中でも、とりわけ日本語は大好きです。日本の古き良き伝統とか日本人の心意気とか、そういったカビの生えた文化的側面は苦手なのですが、「日本語のネイティブスピーカーになれた」という点では日本に生まれてよかったなと思っています。(ちなみに昔、文Iの受験を割と真剣に考えていた時期もありましたが、歴史が死ぬほど嫌いだったので断念して理系にしました。)

 

日本語が好きな理由は色々あって挙げればキリがないのですが、それらの理由は

 

「日本語は言葉遊びの余地がとてつもなく広大で飽きないから。」

 

の一点に集約できます。

 

「言葉遊び」って何でしょう? 僕の中では、「言葉遊び」は、

「日本語の『隙をつく』こと」

だと思っています。

 

『隙をつく』って何でしょう?

一口に定義するのはなかなか難しいですね。具体例で説明を試みます。

 

例えば、ダジャレ。誰もが知る典型的な言葉遊びですね。あれは構造的な解析をすれば、「日本語の同音異義語を利用した言葉遊び」です。でもよくよく考えてみてください。

 

「同じ発音なのに意味が違う単語が複数存在する」って、ほぼ「バグ」じゃないですか?

 

謎解きで同じ問題に2個も3個も別解が出てきたら、おかしいって誰しも思いますよね?それと同じで、僕は同音異義語のように、意味の上で「別解」が存在することは、日本語の一種の「バグ」みたいなもんだと思っています。

 

まぁでも日本語に限らず言語って、使える文字と音の種類は限られているわけで、この世の中に存在する膨大な量のシニフィエに対して、一つ一つに違う組み合わせのシニフィアンを結びつけるというのは現実的には難しいですよね。そりゃどんどんと長い単語を作っていけば理論上、可能ではありますが、言語は使用されてなんぼなので、そんな言語は淘汰されてしまうでしょう。つまり、ある程度音が被るものが存在しているのは、言語の利便性の側面から見れば、必要悪的なものだとも考えられます。

(※シニフィアンシニフィエソシュールとかいう言語学者が提唱した考え方で、確かシニフィアンが「音韻」、シニフィエが「概念」だったと思いますがうろ覚えです。間違っていたらごめんなさい。)

 

だからみんな、この「バグ」を騒ぎ立てることはありません。ていうか、そもそも「バグ」だって認識したことがない。日本語が使用されてきた長い年月の中で、「そういうものだ」と受け入れられてきたのです。

この「言語の中で、皆が無意識のうちに受け入れている、必要悪的なバグみたいなもの」、これこそが「言語の隙」だと僕は思っています。

 

つまり「言葉遊び」って「言葉のバグを探して、そこを題材にすること」なんです。

バグっていうか、抜け穴って言った方が近いかな?

 

とにかく 

皆が見向きもしなかった言語システムの「欠陥」に気付いて、それを一番スマートな形で世の中に提示する。これこそが「言葉遊び」の醍醐味だと思っています。

 

また、先ほどの定義から考えれば、発表の仕方が違っても、「言葉の隙をついたもの」ならそれは全て「言葉遊び」の範疇に含まれると思っています。

ダジャレに限りません。落語に漫才、小説、短歌俳句、演劇にコント、J-POP、フリースタイルラップ、入れ物は何でもいいのです。

「日本語って、まだこんなところにバグがありましたよ!」って知らしめてくれる作品は僕の中ですべからく「言葉遊び」なのです。

 

 

皆さん「サピア=ウォーフの仮説」というものをご存知ですか?確か「言語的相対論」とか呼ばれていたと思うのですが、ざっくり言うと「人間の思考は、その人が使う言葉に影響を受ける。」みたいな話だったと思います。(うろ覚えですみません。)

 

まぁ何が言いたいかというと、自分が今見て感じている世界は、自分が今使っている言葉に少なからず影響を受けているかもしれないということです。自分で見つけた言葉のバグは、ある意味、自分の世界の一部、切れ端といってもいいのかもしれない。「世界を切り取る遊び」、そう考えると、「言葉遊び」ってすごく素敵な娯楽じゃないですか?

 

 さて、ここで話を謎解きにつなげたいと思うのですが、「謎」って、自分が見つけた「言葉の隙」の入れ物として、まさにうってつけですよね。

 

最近はあまり謎を作らなくなったのですが、作るときは大体、僕が面白いと思った言葉や文章がノートに書いてあって、その中から適当な物をいじくって問題の形にしています。

「どうすれば最も綺麗にこの言葉の面白さが伝わるか?」

「どうすれば最も鮮やかに切り取った世界を見せられるか?」

解いた人が「なるほど、日本語にはまだそんな抜け穴があったのか。」と膝を打ってくれたらいいな。

 

そんなことを考えながら問題を作っているときが、一番楽しいです。

 

僕にとっての「創作」は、自分が見つけた「言葉の隙」を世界に教えてあげるための入れ物作りです。

入れ物は、ある時は「謎」であったり、ある時は漫才であったり、ある時は映画であったりするかもしれません。その時々で変わります。

 

一つ言えるのは、僕は日本語という言語に飽きてしまうまで、多分創作をやめないと思います。少なくとも自分のノートに書いてある山のような「バグ」の入れ物が全部完成するまで、まだ当分かかりそうです。

 

 

(P.S)最近ハマっている言葉遊びがあります。「短歌」です。それも現代短歌。

つい最近まで現代短歌なんて、「サラダ記念日」しか知らなかったのですが、本屋でたまたま目について立ち読みした、木下龍也さんの「つむじ風、ここにあります。」

書肆侃侃房)という短歌集を読んで、ドハマりしました。

 

(ちなみに書肆侃侃房ってしょしかんかんぼうって読むんです。多分日本一検索しにくい出版社だと思います。)

 

木下さんの短歌は、「暗い人の大喜利」って感じで、ジワジワ来る面白さがあります。世界の切り取り方が独特で、「31文字でそんなとこ拾うんだ」って思わず笑ってしまう歌が並んでいて、ワクワクしながらページをめくっていたらあっという間に読み終えてしまいました。

 

読んで好きだった歌をとりあえず3つだけ載せておきます。

・「千円になります」と言い千円になってしまったレジ係員

・バラバラになった男は昨日まで黄色い線の内側にいた

・カードキー忘れて水を買いに出て僕は世界に閉じ込められる

 

1ページに2句、62文字しか載っていないので、読書が苦手な人でもスラスラ読めます。ぜひ買ってみてください。

 

 

 

長々とした拙文にお付き合いいただき、ありがとうございました。

明日の当番はAnotherVisionが誇る大作家、ミヤです。どうぞお楽しみに。

こんしゅーむ・びじょん!!

・この記事はAnotherVision Countdown Calendar2017の一環の記事となっております。

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はじめまして、AnotherVision5期の「ときを」と言います。

ハンドルネームの由来は「人生という時を楽しく」という寸鉄のようなものの並び替えだったり、TOKIOが好きだったり、東野圭吾さんが好きだったり、糸井重里さんとMOTHERシリーズにハマってたり…アナビに入る前、中学時代に作った名前(…偽名?)なので結構気に入ってます。

名前の最後、なぜ「お」でなく「を」かというと…命名した時の気分です。某スクールアイドルの某曲にこのフレーズが出てくるとかそういうのは後付けです。

 

12月も中旬に突入し、今日は12月12日。僕がなぜこの日を選んだかというと、ゾロ目だからです。

 

え?ゾロ目に見えない?C月C日だからゾロ目です。ところであなたはCCと言えば何を思い出しますか?

人によってレモンだったりカードを集めたり愛されたい不死者だったり色々あると思いますが…

 

閑話休題。自由に筆を進めすぎると話があちこちに飛んでいってしまう。

一応下から本題になります。

 

僕自身「生産」という行為がとても苦手で、ある意味現代らしい消費を体現するような生活をしてきました。今回はそんな「消費」について話してみようかと思います。

 

謎解きというのは、非常に消費性の高いものなのではないでしょうか。

一度経験してしまったトリックやギミックは、もう二度と味わうことはできないでしょう。二度目に「謎が解けた」ことによる感動はありません。解き直しは不可能です。記憶でも失わない限り。

他にこれほど消費性の高いものは無いように感じます。例えば高級レストランの豪華なディナーなら、飽きが来るまで繰り返し味わうことができます。小説や漫画等「物語」も一見消費性は高いですが、山場のワンシーンを切り抜けば何度も見返したくなるものでしょう。

 

個人的にはその山場のワンシーンには(以下全てアニメ)

未来日記21話・26話

文豪ストレイドッグス10話・24話

東京喰種12話

ラブライブ!サンシャイン!!2期6話

他にもギアスのアレとかクラナドのアレとか本当にそのワンシーンだけを切り抜いてしか見たことのないものもありますがそれはいずれしっかり見てからしっかりおすすめしたいです。ちなみにワンシーンだけしか見ていないのに泣きました。多分何度でも号泣できます。本当に凄い作品ってネタバレを喰らった上でも感動できるものですね…マジックの掟のような話です。あ、でもネタバレを喰らわせていいのは自分自身に対してだけですよ。

 

閑話休題。その2。

 

「消費」、ここまで語釈なく使ってきましたが、この文脈では「不可逆の使用」だと捉えています。要するに0を掛けることです。全てを無に帰し、再度使用することは叶いません。

 

なぜここまで謎解きは不可逆で消費性が高いのでしょうか?

うまく説明できませんが、これは謎解きというコンテンツの構成が「知識」に深く依存しているからではないか、などと考えてみました。

一つ一つの謎はそれを解く鍵という知識(もっといい言葉がありそうですね)があれば開錠でき、ただの知識は、種々の情報が絡まった記憶よりも遥かに容易にインプットされます。

 

 

ところで、消費性の高さはこれまで受け手の話でしたが、それは作り手にとっても同じことです。

作り手は「生産」という0から1を作りだす消費と対極にある行為を行なっているように見えます。しかし、それは二度と使い回すことのできないアイディアを生産しては消費し続けていく行為で、結局生産の中にも消費が含まれているのではないでしょうか。

…その作業を何度でも繰り返せる作問者には頭が下がります。むげんにかてません。

 

 

 

AnotherVisionという名前の由来は、「謎は新しい視点を持って初めて解ける」というものです。

だから、AnotherVisionが謎解き制作団体であるためには、常に新しい視点を生産し、消費し続けねばなりません。生産し消費し「続ける」ことはきっと、言葉に表せないほどの重荷ですし、しかも時を経るにつれ重くなっていきます。

 

AnotherVisionが謎解き制作団体であるために、AnotherがTheOtherにならないように、消費者たる僕にこれからどんな貢献ができるのだろう─

不安?いえ、不安もありますが、好奇心の方が強い…ような気がする。

不安と好奇心のブレンドに武者震いしながら、この記事は閉じさせていただきます。

 

ご精読ありがとうございました!!

AV「CC」はまだまだ続きます、明日もお楽しみに!!

僕らが謎を解く理由 ~MtGと任天堂に学ぶ、プレイヤーの心理傾向~

・この記事はAnotherVision Countdown Calendar2017の一環の記事となっております。

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はじめに

こんにちは、AnotherVisionのしゅんと申します。

まずは簡単な自己紹介から。

 

名前:しゅん

制作分野:謎制作や動画、そして時には司会や声優(?)などで働いています。

入会時期:3(.5)期(だいたい2015年11月)

謎解き経験:2013年5月「ある試験からの脱出」が初体験。以降様々な謎解きに触れるも、AnotherVision入会を逃し続け、ようやく2年前に入会。

 

僕はこれまでいろんな謎解きイベントに参加してきましたが、一口に謎解きと言ってもいろんな側面があり、その面白さは一言で語れるものではないなぁと思っています。

その証拠に、皆さんと口々に感想を言い合ったりすると、どこに面白さを感じているかがまるで違う。みんな謎解きの感想で喧嘩しすぎ。合う合わないの個人差があるのはもちろんですが、謎解きは特にその印象が強いように思います。相手は同じ「謎解き好き」のはずなのに、自分の好きな謎解きや団体を薦めても「なんか違う……」みたいな感想が返ってくることが多い。おかげで、まるでマイナーゲームを薦めるときのようなヒリヒリ感を味わう羽目になっています。まあそもそも謎解きってまだまだマイナーゲームだよね……

ということで、僕はちょっと真面目に、この「謎解き」という不思議な界隈における面白さとは何か、その分類を考えてみたいと思います。

 

※ここから先、僕の専門外、知らない分野についても語ります。学術的論理的に正しいわけでもないし、勝手な推測や印象論も話します。「何偉そうに言ってんだこいつ」と思われるかもしれませんが、なにとぞご容赦ください。また、記事の中で分類が登場しますが、必ずどれか一つに分類されるわけではなく、二つ以上を兼ねたり、どれにも当てはまらない場合もあります。「○○な人はすべて××だ」とか言いたいわけでもないので、その点ご了承ください。

 

ゲームプレイヤーの心理学的分類

まず、謎解きの楽しさについて考える前に、人がゲームに何を求めるのか、ということについてちょっと書きます。そもそもゲームの楽しさにもいろいろあって、何に楽しさを感じるかは人それぞれです。これについてはすでに研究されていて、「Magic: The Gathering(MtG)」*1というカードゲームの開発部が「心理学的分類」として、人がゲームを遊ぶ動機によって、プレイヤーを3種類にタイプ分けしています。

Timmy, Johnny, and Spike - MTG Wiki

ではさっそく見ていきましょう。この後の話につなげるため、ちょっと一般化して書きます。

スパイク

ゲームに挑戦を求める。

勝つこと、自分の強さを証明することを目的にゲームをする人々。強さを追い求め、課題に対して全力で立ち向かう。

トーナメントなど、競技性のある遊び方を好む。

ティミー

ゲームに体験を求める。

何らかの目的を達成するためにゲームをするのではなく、ゲームをプレイしているときの興奮や快感そのものが目的。

分かりやすく派手なことができるものを好む。

ジョニー

ゲームに自己表現を求める。

ゲーム内で自分の個性を披露することに喜びを感じる人々。独創的な構築やトリッキーなプレイで魅せることが何より重要。

自由度の高いものを好む。

 

これはあくまで、カードゲーム開発において新しいカードを作るときなどに、顧客の心理を考えるために使われたりするものですが、僕はこれをもっと一般的な「ゲーム」という枠組みで考えてもいいのではないかと思いました。

コンシューマー業界で起こった波状攻撃

この「心理学的分類」を踏まえて見ると面白いなと個人的に思ったことがあります。それは今年のコンシューマーゲーム業界。皆さんご存知、任天堂についてです。

Nintendo Switchが今年3月に発売し大ヒットとなったのはいうまでもありませんが、その販売戦略を見ると、前述の3タイプそれぞれに向けたキラーコンテンツを用意しているうえに、その発売時期まで含めてよく考えられていることが分かります。

まず、ローンチタイトルです。本体の発売開始と同時に遊べるということは、他に遊べるゲームが出そろっていない状況でもあるので、それだけプレイに時間を費やしがちな、すなわち研究できる時間が長いソフトになるということです。そこに持ってきたのが「ゼルダの伝説 Breath of the Wild」。やろうと思えばいくらでも研究ができる、ジョニーにぴったりの高自由度オープンワールド系ゲームです。自己表現を求めるプレイヤーはこぞって様々なルートを開拓し、思い思いのやり方でゲームを楽しみました。

そして、そこから時期をずらして、7月。プレイヤーにある程度の環境を整える時間を与えた後、満を持して「Splatoon2」の一斉スタートを迎えます。平等な条件下で自分の実力を試したいスパイクにとってはこれ以上にない最高の展開です。シンプルに対戦を主軸においているだけあって、そのウデマエを競ってガチ勢が大量の時間を溶かします。その後の定期的なアップデートやイベント開催などのケアもこまめに行われており、2017年12月現在もなお多くの挑戦者たちがしのぎを削っています。

最後に、品薄状態が緩和され多くの人がSwitchを手に入れやすくなった10月。任天堂を代表するといっても過言ではない超有名シリーズの最新作「スーパーマリオ オデッセイ」が発売されました。するべき行動がある程度定められている箱庭アドベンチャー、それでいて過去何作も発売されていて安定感のあるマリオというタイトルはティミーの分かりやすい体験を求める心と相性抜群です。ティミーは他の2タイプと違い、ゲームを楽しむことに他者が介在しないので、発売直後に死に物狂いで本体を手に入れる戦争に参加するモチベーションは薄かったのではないかと考えられます*2。その時期が過ぎ去り、本体を手軽に手に入れられるようになった今だからこそ、まだ本体を持っていなかったティミー層が最初に買うソフトとして最適だったといえるでしょう。

※といっても、僕はマリオについてはまだ遊べていません。近々買いに行くので、もし実際にやって何か間違いがあったらこっそり訂正します。

まあもちろん、あるタイプに向けたゲームだから他のタイプは楽しめない、ということは全くなく、ちゃんと全タイプが楽しめるように、どのゲームにも各タイプに向けたモードや要素を入れることで対応しています。任天堂は偉い。

謎解きを楽しむ人の分類

では、謎解きにおいてはどうでしょうか。謎解きの「ゲーム」というくくりの中での特殊性も念頭に置きながら、各タイプのプレイヤーについて考えてみたいと思います。(また、2017年の間に行われたAnotherVisionの公演を僕個人の独断と偏見で分類してみたので、何かの参考にしていただければと思います)

スパイク

謎解きとは困難への挑戦であり、簡単にはたどり着けない「成功」という高みに登ることこそが快感なのだ!という人。成功率やクリアタイムなどをこまめにつけていて、失敗したら反省し、次こそ成功するぞという気持ちで謎解きに参加し続けます。

いわゆる謎クラスタと言われる、ガチめの謎解きプレイヤーの方に多いと思われます。プレイヤーにスパイクが増えたのは、低脱出率を強調していたSCRAPの影響が大きいのではないかと僕は考えています。特に僕が謎解きを始めた2013年ごろはその傾向が強く、「Xの悔しさはXでしか晴らせない→もう一度Xに参加するほかない」という非常に簡単な論理によって多くの人*3がリピーターとなり、謎界隈に集まりだしました。

また多くの場合、謎の答えは一つしか存在せず、目指すべき目標がはっきりしています。それでいて、できる人とできない人がはっきり分かれます。さらに、複数回参加ができないので、成功・失敗の評価が一生変えられないまま残ることになります。このストイックさも、スパイクの心を刺激する一つの要因となっていることでしょう。

AnotherVisionのスパイク向けコンテンツ:ニブンノイチマッチ(Unlimited)

ティミー

謎解きとは何らかの体験をするためのツールであり、成功・失敗よりも自分が楽しめたかどうかが大切だ!という人。

ティミー(特に自分がティミー的であると自覚している人)は、全力でコンテンツを楽しむように行動します。制作者の設定した楽しさポイントには素直に乗っかり、時間いっぱいこのコンテンツを楽しみつくそうと努力します。ところが、「謎を解きたいのではなく、体験をしたいんだ」という思いはしばしばスパイクと対立します。長く楽しみたいがゆえにゆったりと解いたり、クリアの目標から脱線したコミュニケーションをキャストと取りたがるプレイヤーはスパイクからは疎まれがちです。別にどちらが悪い、というわけでもないのですが。

僕の周りを見ている限り、制作経験者にはティミーが多いという印象があります。AnotherVisionの人たちを見ていてもその傾向が強く、ストレスのない解き筋や、解けた時の快感・納得度など、体験の質によって謎の良し悪しを語ることが多いように思います。やはり皆が「この楽しさを皆に味わってほしい!」という思いで謎を作っているからでしょうか。

「謎はあくまでツールであって、コンテンツの持つ魅力を存分に楽しんでほしい!」という制作者の思いから生まれるものは場合によってはゲームですらありません。成功・失敗の概念が消えることもあれば、謎がないコンテンツが誕生することもあります。(それは謎解きなのか?という疑問は当然あるが)

AnotherVisionのティミー向けコンテンツ:Connect

ジョニー

このタイプはそもそも現在の謎解き界隈には(謎解きに対する姿勢としては)あまりいないと思われます。

まず、「謎」が一つの答えを導くものである以上、自分の個性を発揮することを喜びとするジョニーは謎解きそのものと相性が悪いと言えます。謎解き公演においては、大量生産ができず、自動生成困難な、使い捨ての「謎」というものを取り扱う性質上、制作者のデザインする理想的なゲーム展開からの脱線、または別解が生まれることは「バグ」としてひどく嫌われます。またそれらを許してしまい、プレイヤーの行動を完全に制御出来なくなれば、成功・失敗という判定基準が無意味になってしまいます。その点において、ジョニーの好む自由度は他の2タイプの楽しみを奪うことになりかねません。想定する楽しい体験を味わってほしい制作者側としては、イレギュラーな行動は極力起こしたくないはずです。

解決策は全くないわけではありません。大量のルートや遊び要素を用意して行動できる範囲に幅を持たせ、疑似的にでも自由度を味わわせることです。こういった贅沢なゲームは稀にありますが、制作コストが半端じゃないのであまり多くは作れません。今のところ、完全にジョニーを狙い撃ちにする謎解きゲームを作る方法は、まだ確立されていないというほかありません*4

AnotherVisionの(一応)ジョニー向けコンテンツ:REVERSE

もうひとつの分類法

ちなみに、MtG開発部の提唱する分類法はもう一つあって、先述の「心理学的分類」に対して「美学的分類」と呼ばれています。こちらは動機ではなく、ゲームの何に価値を置き、高く評価するかということで2つに分類されています。先述の3タイプ×2タイプで合計6タイプ*5も人の楽しみ方があるということです。ややこしいですね。

ヴォーソス

コンテンツの世界観を重視する人。

ゲームの持つ雰囲気、フレーバー、コンセプトなどを大事にする。

謎解きで言うならば、世界観の作りこみがしっかりしている公演を好む層。例えば「自分がその世界に入った感覚」をうまく出している公演や、「謎なぜある問題」を解決している公演、謎が解けたことによって発覚する真実が「エモい」公演などはヴォーソスにとって評価が高い。

コラボコンテンツは原作が既に存在するので、もとから世界観が出来上がっているうえに、原作ファンがその世界観を味わうことを目的に来るため、ヴォーソス向けに作られることが多い。

AnotherVisionのヴォーソス向けコンテンツ:神と天使と僕らの手紙

メルヴィン

コンテンツのメカニズムを重視する人。

機能、構造、トリックの美しさなどに価値を置く。

謎解きにおいては、大謎やシステムがすごい公演や、新奇性のある謎や面白いギミックが登場する公演がメルヴィンに好まれる。

世界観よりも論理関係や模式図的に公演を見てしまうので、しばしばメタ読みに走りがち。逆に、メタ読み的な発想こそが大謎のカギとなる、「世界観などない」「謎を解け」「シンプルイズザベストだオラァ」みたいな公演はメルヴィン向けと言える。

一枚謎はその性質上ストーリーを乗せづらく、結果的にメルヴィン向けになることが多い*6。また持ち帰り謎は時間制限なしでゆっくり味わうことを想定しているため、ギミックのすばらしさについて考察したいメルヴィンとは相性が良いと思われる。

AnotherVisionのメルヴィン向けコンテンツ:Colorfuls

 

ここまでいろいろなタイプがあると、人によって面白いと思えるコンテンツが違ったり、団体によって対象とするタイプが違うのも頷けます。

例えば最近のAnotherVisionの制作方針を見ていると、まず初めにあっと驚く大謎あるいは体験を用意し(用意できるまで考える)、その周りを固めるように世界観および楽しい中謎・小謎をしっかりと作っていくことが多いように思います。特に「謎なぜある問題」は妥協しないという印象が強いですが、皆さんにはどう映っているでしょうか。AnotherVisionは、明確に言語化こそしていないけれど、心理学的にはティミーを主軸に、美学的にはヴォーソスメルヴィンのバランスを取ろうとしている団体と言えそうです。*7

おわりに

ここまで紹介してきたように、謎解き界隈、ひいてはコンテンツを楽しむ人々には様々なタイプの人間が存在し、様々な思惑をもって同じゲームに参加しているのです。異なるタイプの人が一つのコンテンツを遊び、あーだこーだ言っているのです*8。これは、どちらかが正しくて、どちらかが間違っているというものではありません。謎解き界隈に生きる人々にも楽しみ方は色々あって、ときには違うタイプのものとぶつかってしまうこともあります。それはプレイヤー同士の衝突かもしれないし、制作者とプレイヤーの好みの不一致かもしれません。そんなときに、「俺が正しい!なんだあいつは!つまらんぞ!」とか言わずに、「そういうのが好きな人もいるよね」と優しく接してあげてください。*9

とはいえ、どうせなら自分の好みドンピシャのコンテンツや気の合う仲間を見つけたいですよね。そんなときは、もしよろしければこの分類を使ってみてください。好みを言語化できればミスマッチの可能性は減っていくはずです。この記事が、謎解きという広大なジャンルの中で、自分の好みを見つけ出すための何らかの助けになればいいなぁ、と思います。

 

 

長々と書いてきましたが結局のところ、僕は「分類」というものが好きなので、最近見つけた分類について語りたかっただけでしたね。ここまで駄文・長文にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。

*1:ちなみにこのゲーム、僕はやったことないです。心理学的分類についてカードゲーム好きの友達から聞いて初めて知りました。なので浅い解釈かもしれません。悪しからず。

*2:スパイクは人より早くゲームを始めることでより強くなれる。ジョニーは自己表現を見せる相手がほしいので新鮮なネタを仕入れたい。

*3:僕を含む。

*4:逆にこれを確立できる団体が現れたら恐ろしいですね。「謎解き合わないな……」と思っていた層を一気に取り込めるかも。

*5:もっと正確には5つのタイプについてのある・なしが独立して存在するので、何も楽しめない人を含めると32タイプ。

*6:例外として、AnotherVisionのもちちゃんが作ったこれとかはヴォーソスが楽しめるやつ。

*7:もちろん他のタイプは来るな!と言ってるわけではなく、全ての層が楽しめるよう心掛けているつもりです。

*8:というか、「謎解き」というくくりが広すぎるんだと思います。これは「ゲーム」みたいなもので、「アクションゲーム」みたいな下位分類が十分に定義されていないのが問題な気もします。

*9:好みの問題ではなく、作りこみが甘い、クオリティが低い、という場合もあります。その場合は……まあ声を荒げないようにだけ。批評と罵倒は違うので。