AnotherVision Countdown Calendar2017

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「ナゾ解き」と「謎解き」

・この記事はAnotherVision Countdown Calendar2017の一環の記事となっております。

adventar.org

 

みなさま、はじめまして。あるいはお久しぶりです。AnotherVision3期のミヤと申します。Twitterのアカ名と日ごろ使っているハンドルネームが違う、少々厄介なひとです。

 

 ――とまぁ、こんな挨拶をしましたが、間違いなく「初めまして」のかたが圧倒的多数だと思いますので、簡単に自己紹介を。

 

HN:ミヤ(あなびでは専らこっち)/雨露山鳥(Twitterでは専らこっち)

所属:東京大学教養学部学際科学科総合情報学コース3年(まけさんの後輩です)

あなび内での役割:ときどきスタッフ、ときどきパズル、ときどき1枚ナゾ

特徴:帽子

ハマってるもの:ラブライブ!サンシャイン!!(果南ちゃんとダイヤさんが好きです)

得意な音ゲースクフェス(MASTERの「乙女式れんあい塾」をフルコンしました。やったぜ!)

 

 

 

さて、突然の告白になりますが、僕はAnotherVisionに入ってから3年が経とうとしているにもかかわらず、実はほとんどナゾ解き公演製作には関わっておりません。唯一関わったといえるようなものは、Hackersに数問、とあるナゾを提供したことくらいでしょうか。

 

さらに言えば、僕は外部のナゾ解き公演に行ったことがほとんどありません。ナゾ解きを知ってから3年、SCRAPさんの公演に行った回数はたったの2回。それ以外の団体さんのものも、片手で足りる数しか遊びに行ったことがありません。

 

「お前はなぞときに興味はないのか?」と疑問に思われるかたもいるかもしれません。けれどそれは明確に違います。僕は「なぞとき」がだい好きです。ただし、その「なぞ」が意味するものはみなさまの想像とはすこし違うかも知れません。

 

僕が好きなもの。

 

それはずばり「推理小説内で提示される謎」です。

 

たとえば、3つの時計を持つ城に出現した首斬り死体の謎だったり。

あるいは、6面すべてが真っ白なルービックキューブの謎だったり。

はたまた、存在しない創刊号と33年前に起きた事件の謎だったり。

 

これらのような魅力的な謎を、僕はこよなく愛し、日々「体験」し、また「製作」しているのです。

 

しかしそうすると、さらなる疑問を覚えるかたもいるでしょう。「どちらも『なぞとき』ではないか。ならばなぜ片方の『謎解き』だけにそんなにも執心しているのか」と。

 

実際、この疑問は「ナゾ解き」に興味がない一般のかたでも、また違った形で不思議に思うところかも知れません。「へえ、リアル脱出ゲームが好きなんだ! じゃあコナンドイルとかも好きなんでしょ。……え? 違うの? なんで?」というように。心当たりがあるかたも多いかも知れませんが、「ナゾ解き」が好きだからと言って必ずしも「謎解き」が好きとは限りませんし、逆もまたしかりなのです。

 

では、このふたつ――「ナゾ解き」と「謎解き」――はなにが異なるのでしょうか? 

僕のちょっとした分析に、ほんの少しだけお付き合いください。

 

 

 

僕は、これらの間には、大きく分けてふたつの違いが存在していると考えています。

 

 

ひとつめは主語の違い。

 

前者の「ナゾ解き」――すなわち『リアル脱出ゲーム』や『一枚ナゾ』と呼ばれるものにおいて、ナゾを解くのは、その問題を提示された「あなた」です。そしてその「ナゾ解き」は主体的かつ強制的になされるもので、言い換えればあなたがナゾを解くことができなければ答えに辿り着くことは出来ません。

 

一方、後者の「謎解き」――すなわち推理小説で提示される謎において、謎を解くのは、あくまでも名探偵です。読者たる「あなた」は、出題された謎を解いても解かなくてもいい。『読者への挑戦状』をまるっと無視してしまってもいい。なぜなら、ページをめくれば名探偵があっと驚く解答を提示してくれるのですから。つまり、この「謎解き」は受動的かつ自発的にしかなされないもので、謎を解くことが出来なくても(頭を使わなくても)答えには辿り着けてしまうのです。

 

個人的な感覚ですがこの「主体性―受動性」/「強制―自発」の対比は、「ナゾ解き」好きのかたに、特によく当て嵌まる気がします。「ナゾ解き」が好きなかたは「ナゾを解きたいから」イベントに行くのでしょう。もし「ナゾ解き」におけるギミックの美しさを味わいたいだけなら、解説スライドを観にいくだけでいいのですから。

 

しかし「謎解き」好きなかたには、この対比はやや不自然に思われるかも知れません。「違う、俺は受動的なんかじゃねえ! なんなら読むミステリ全部で探偵よりも先に犯人当ててるぜ!」というかたがいたらぜひお目にかかりたいのですが、そこまでとは言わずとも、この性格による分類に少なからず違和感を覚えるかたは多いでしょう。事実、僕がそうです。

 

 

 

では「謎解き」愛好者は、「ミステリ」のなにに惹かれるのか。

 

 

 

僕は、それが「意外性」なのだと思います。

 

ストーリーの中に巧妙に仕組まれた伏線だったり、最後まで思いも寄らなかった意外な犯人だったり、絶対に思いつかないような驚天動地のトリックだったり、はたまた犯行に及ぶに至った人物の常軌を逸した動機だったり。

 

物語のクライマックスで明かされるこれらの真実は想像の遙か彼方から襲いかかり、しかもその奔流に読者は為す術もなく押し流されるしかないのです。けれどそこに不快感はありません。これまで読み飛ばしていた伏線が浮かび上がり有機的に繋がりあうことで、歪に絡まり合った謎の糸が解きほぐされていくカタルシスを、僕は何度でも味わいたいと思ってしまうのです。

 

「『ナゾ解き』にも意外性はあるぞ!」と思ったかた。確かにその通りです。

しかし、よく考えてみてください。「ナゾ解き」の意外性は、挑戦者に気付かれなければ意味がありません。それに対して、「謎解き」におけるその「意外性」は、「ナゾ解き」のそれとは異なり、読者に決して見破られないように作られている(いなければならない)のです。そしてこれこそが、ふたつ目の違いへとつながります。

 

そもそも「謎解き」は、読者に解かせることを前提にしていないのです。

 

だって読者が解けてしまったら、そこで読むのをやめられてしまいますから。解答編まで読んでもらうには――自らの作品を読者に最後まで味わってもらうには、解答編を読むまで提示される謎が読者に解かれては/結末や物語の展開を読者に予想されてはいけません。挑戦者に解いてもらうことを前提として作られる「ナゾ解き」と比較したとき、これは大きな違いだと思います。だって「ナゾ解き」は、誰にも解いてもらえなければ虚しいだけですものね。

 

そしてここに、「謎解き」を作る最大の難しさがあります。

 

面白い「謎解き」=ミステリを作るということは、言いかえれるならば「成功率0%のナゾ解きゲームを作れ、ただしストーリーが面白く、展開も予想できず、かつ答えを聞いた全員が納得できるものでなければならない」ということに他なりません。「ナゾ解き」製作経験のあるかたは、これがどれほど難しいことかが解るのではないでしょうか。アンフェアになってはいけない、完全なるフェアプレーのもとで、魅力的なキャラクターたちを生み出し、途中で読者がだれないように面白い展開を用意しつつ、誰にも答えられない謎を仕掛けなければいけないのです。

 

作者は読者を如何にして騙すかに腐心します。展開を予想されたら、伏線に気付かれたら、その時点で「意外性」は死んでしまう、すなわちその「謎解き」は朽ちてしまいますから。

だから読者を騙すために、あの手この手を使います。そうして生まれたのがある意味で「謎解き」の極致とも言える現在の「新本格ミステリ」というジャンルなのだと僕は思っています(新本格がどのようなものかを書き出すととても収まりきらないので「知りたければ綾辻行人先生の『十角館の殺人』を読め!」とだけお伝えしておきます)

 

だいぶ散らばった文章になってしまいました。僕が考える「謎解き」と「ナゾ解き」の違い、伝わりましたでしょうか……? 

 

 

 

 最後にちょっとだけ、僕の挑戦について紹介させてください。

 

 もしかするとこれを読んでいるみなさまの中には、一時期「#ミヤ小説ナゾ」というハッシュタグでAnotherVisionの面々が盛り上がっていたのを覚えているかたがいらっしゃるかも知れません。いまでもこのタグで検索をかけていただければ、どういう状況だったのかがお解りいただけるかと思います。

 

 白状しましょう、それの仕掛け人が僕です。

 

 「ミヤ小説ナゾ」というコンテンツは、「『ナゾ解き』と『謎解き』の融合」というコンセプトのもと、僕が個人的に始めた、AnotherVisionの内部コンテンツです。

 

 先にも書いた通り、「謎解き」の読者には提示された謎を解く主体的動機がありません。なぜなら、ページをめくれば名探偵が事件を解決してくれるからです。

 

 ……とすれば。

 

 ページをめくっても名探偵が事件を解決しなければいい。端的に言うなれば、問題編だけを出題し、解決編は一定時間を経た後に提示すれば、解決編が提示されるまでの間、読者を強制的に問題に取り組ませることが出来るはずです。

 

 物語として読んでも面白い、かつ「謎解き」/「ナゾ解き」としても面白い小説って、どんなものなんだろう。

 そうして生まれたのが、「ミヤ小説ナゾ」というコンテンツです。

 

 実際、昨年の夏、AnotherVisionサマーコンペティションの一環として製作した第一弾の『夏空のプレアデス』を、AnotherVisionの面々はそれなりに好意的に受け容れてくれたように思います。それまであまりAnotherVisionの活動にコミットできていなかった僕が、これをきっかけにメンバー内での認知度がアップしたような……。ちなみに、挑戦してくれた50人のうち、完全正解者が3人、99%正解者が4人でした。

 

 その後も、圧倒的長さ&狂気的難易度のために挑戦者の過半数が途中で脱落した長編『Ⅶ~sept~』、恐らく日本の謎解き小説史上いちばんの問題作『最初からn番目の真実』と、とりあえずこのコンテンツは第三弾まで続いています。(@あなび民 第四弾も執筆中なんだけど進捗ダメです……)

 

 いずれの作品(って自分で言うのは小っ恥ずかしいですね……)も、どこかでみなさまにもお披露目したいと思っておりますので、いましばらくお待ちください。

 

 

 

 ふと文字数を見たら4500字となっていてひっくり返りました。レポートもいつもこれくらいのスピードで書ければいいのに……。

最後まで読んでくださり、ほんとうにありがとうございます。

アドベントカレンダーはまだまだ続きます。普段は見られないAnotherVisionメンバーの一面を、どうぞお楽しみに。

以上、12/14担当、ミヤ/雨露山鳥でした。

 

 

蛇足

推理小説で提示される謎」のところで例示した3つの謎がなんなのか気になっている方もいるかも知れないので、念のため。

 

・3つの時計を持つ城に出現した首斬り死体の謎

……『『クロック城』殺人事件』/北山猛邦講談社文庫

・6面すべてが真っ白なルービックキューブの謎

 ……『退出ゲーム』/初野晴/角川文庫

・存在しない創刊号と33年前に起きた事件の謎

 ……『氷菓』/米澤穂信/角川文庫

 

いずれもマジゲロ面白い作品なので、興味のあるかたはぜひ手に取ってみてください!